鈍る感覚
私は、少女も思春期も女としても上手に生きれてなかったと思う。
良くいる自意識が誇大した繊細で面倒で、ある種図々しい存在だった。
思い描く自分とリアルな自分の高低差に息切れをし、
何時も何だか「ここじゃない何処か」感と共に時間を消費していた。
地元でも、地元から越境入学した中学・高校でも、更には留学先でも。
謎の焦燥感と共に生きているのは、楽しい時間があれどもしんどい。
よくある若い時代のヒステリー的な感覚なのだろうけど
本人的にはソコソコしんどいのだ。
今ババアとなり、私はイキイキしている。
ババアを上手に生きているのだ。
これから死ぬまでババアとして上手に生きれる幸せ。
ババアになってやっと息が出来ている気がする。
何時でも今が一番と生きてきたけど、
確実に今が一番精神的に安定してるしイキイキしている。
10代・20代の頃にあった、キリキリした脆く儚い感覚と感情に
綺麗さっぱりと決別し、立派なババアとして生きれていれる。
脆く儚い感覚と引き換えにババアを手にし、鈍る感覚の存在へとなった。
ババアって良い。
しんどかった若い時代を経てババアを謳歌している。